co-ba library の OVERKAST 選書第2弾。今回はよりシェアライブラリーらしく、コミュニケーションへと向かう書籍をチョイスした。

co-ba library の OVERKAST 選書

前回は「自己紹介も兼ねて」UX デザイン系の文脈から選んだが、その後の co-ba library での交流を経て、置きたいものが「他者」(主に入居者)とのコミュニケーションへと向かう書籍に変わっていった。

そのコミュニケーションは、書籍に関して誰かと約束したり、誰かに期待したり、誰かが持ってる書籍から連想したりするところからスタートする。そうやって書籍を選ぶ行為は、「過去」の自分と書籍との関わりあいを思い出す作業でもある。

自分の「過去」との通時的なリンクと、シェアライブラリーにおける「他者」との共時的な交流。書籍を媒介にこれらが交差する楽しさが、今のところ co-ba library に本を置く理由である。

そんな「過去」から「他者」へと向かう書籍を紹介していきたい。

「時代」や「世代」についての書籍

Chloe Sevigny for Opening Ceremony

Chloe Sevigny for Opening Ceremony

浅田彰『構造と力 – 記号論を超えて』

80年代前半のニューアカデミズムな季節について。
衒学的に知識がレイアウトされてること。ニューアカの一瞬の盛り上がりの象徴であること。そのため何かと矢面に立たされ批判を受けてきたこと。ソーカル事件以降ますますポストモダン批評が終わっていること。
こんな状況を以てしても、この本はマルクスやラカン、ドゥルーズに飛び込むきっかけであり、ファッションのように消費されるものではない。「最高の読者」を想定したハイブラウな文体も、今となっては80年代特有のフェティシズムである。

筒井康隆 『文学部唯野教授』 / 『文学部唯野教授のサブ・テキスト』

他の棚に置いてあった筒井康隆つながり。
80年代の空気のまま時間が止まった90年代の大学という密室的な世界で、軽薄なパーソナリティの唯野教授が巻き起こすスラップスティックな日常。各章の最後にある講義の様子は、戯曲化された現代思想入門としても読むことができる。
唯野教授の饒舌な白熱教室にとりつかれた人向けに、追加講義として『サブ・テキスト』も用意した。こちらには当時流行っていた「一杯のかけそば」の構造主義的な分析が所収されている。

アレン・ギンズバーグ、チェ・ゲバラ、奥公平 他『現代人の思想4 反抗的人間』

「90年代前半は60年代後半の文化的影響下にあるよね」という話の流れから。学生時代に好きだった、左翼思想や抵抗文化のテキストたち。1967年出版。

Mark Borthwick『Chloe Sevigny for Opening Ceremony』

同じ「世代」という逃れられないものについて。
マーク・ボスウィックが撮った写真にリタ・アッカーマンのイラストが入るという、あまりにも90年代的なクロエ・セヴィニーのワードローブ集。上下が分割されたリング綴じになっていて、トップス/ボトムスが組み替えられる工夫がされている。

「音楽」についての書籍

Brian Eno, 1978

Brian Eno, 1978

石野卓球+野田努『テクノボン』

90年代のクラブカルチャーの話で使った参考資料。だから半分は「時代」や「世代」がテーマ。
学生時代に読んで、ニューウェイブからハウス・テクノまでの文脈整理や、マッドチェスター周辺の理解が、当時の音楽誌をはるかに凌ぐクオリティだったことに驚いた。
この『エレキング』創刊前夜の熱量が、後のソニーテクノや日本のフロアの身体的アップデートにつながっていったんだと思う。

荏開津広『人々の音楽について』

グラフィティを発端に、アクティヴィズムやヴァンダリズムの話になり、黒人音楽を公民権運動や移民文化といった背景から雄弁に語る、このテキストに行き着いた。
これは数年前のブックフェアで売られてた55冊のうちの一冊で、ミックスCDとセットで著者本人に手売りしてもらった思い出がある。

エリック・タム『ブライアン・イーノ』

音楽の話その3。これも学生時代の愛読書で、当時イーノの「ノンミュージシャン」というスタンスに感銘を受けた。
「ノンミュージシャン」の定義は、楽器演奏ができないコンセプト先行型のミュージシャンのこと。それゆえにジャンルやメディア、スタイル、ポジションを自由に横断することができる。
イーノはここ数年で素晴らしい iPhone アプリをリリースしているが、今思えば1975年の”Another Green World”の録音で使用されたオブリーク・ストラテジーズが、すでにコンピューター時代以前に設計されたアプリケーションであった。

ジョン・ケージ、ダニエル・シャルル『ジョン・ケージ 小鳥たちのために』

音楽の話その4。ブライアン・イーノからジョン・ケージへ。ダニエル・シャルルが素晴らしい聞き手で、ケージから聞き出したいトピックを総ざらいしてくれている。
昔下北沢にあったレコードショップ onsa に併設されてたカフェの閉店セールで買った一冊。

植草甚一『コーヒー一杯のジャズ』

音楽の話その5。「植草甚一スクラップブック」のジャズのシリーズから何か一冊と思って選んだもの。co-ba library のある渋谷周辺の、今はもうなくなってしまったジャズ喫茶や古書店も出てくる、街の本でもある。

「アーキテクチャ」についての書籍

井庭崇『プレゼンテーション・パターン』イラスト

井庭崇『プレゼンテーション・パターン』イラスト

井庭研「パターンランゲージ」シリーズ

前回反応がよかった井庭研「パターンランゲージ」シリーズ。Open Research Forum でいただいた続編も追加して、すべての冊子が揃った。

このシリーズで提唱されている「パターンランゲージ 3.0」とは、関係性という「名づけえぬもの」を言語化して概念を扱えるようにする試みである。「自然言語」によって方法を語ることはできるが、それが自分に合っているか、実践できるかといった判断は難しい。「パターン」という言語(ランゲージ)は、誰にでも適用できる抽象的制約を設け、自生的秩序を発生させる。つまりこれが個人の成長の可能性になる。

「パターンランゲージ」は、建築家クリストファー・アレグザンダーが開発した方法論である。co-ba library にはライブラリーを設計したアーキテクト所有の建築書がたくさん置いてあり、そこにはアレグザンダーの本も含まれる。
建築と情報のアーキテクチャには、「パターンランゲージ」以外にも、ヴェンチューリの対立性の問題、ヴァナキュラー建築、ケヴィン・リンチ『都市のイメージ』のタイポロジー、Unbuild に対する Unlaunch など、興味深い相似点が多くある。
同じように、建築のアーキテクトにとっても情報設計の話はおもしろいらしい。それが前回の UX デザイン関連の本や、この「パターンランゲージ」シリーズのような「隠喩としての建築」本を置いた経緯になった。

「写真」についての書籍

Guy Bourdin, 'Unseen' Exhibition at The Wapping Project

Guy Bourdin, 'Unseen' Exhibition at The Wapping Project

ロラン・バルト『明るい部屋 – 写真についての覚書』

ロラン・バルトの著作をどれか持って行きたくて選んだ一冊。入居者に写真好きが多く、写真部という活動もしてるので、写真論を選ぶことにした。
写真論と言っても、主体/客体(被写体)、切り取られた過去/現在、生/死、教養/フェティシズム、ファインダー/レンズを見る「まなざし」、そして「母」への愛といったことが問題になっている。

『Guy Bourdin』

ギイ・ブルダンを持っていった経緯は詳しく覚えてないが、フェティシズムの話からなのは間違いない。その後、イラストレーターが女性のラインを描くときに参照してたのは、思ってもいない使われ方だった。

「オカルト」についての書籍

A Dangerous Method, 2011

A Dangerous Method, 2011

カルロス・カスタネダ『時の輪 – 古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索』

元々は『呪術師と私』をリクエストされたのだが、ドン・ファンの発言だけをまとめたこちらの本を置くことにした。
どうしても『呪術師と私』が好きになれないのは、ドン・ファンに必要以上に遅れを取る観察記録者のカスタネダに苛立つから。それがこの南米の文化人類学者の作家性なのか、そもそもドン・ファンは実在するのかといった問題は未だに謎のままで、そのオカルティックな佇まいも「ドン・ファンの教え」シリーズの魅力である。

ロバート・H. ホプケ『ユング心理学への招待 – ユング全集ツアーガイド』

映画『危険なメソッド』からユングの話へ。主要なキーワードが見渡せて、全集にダイブできるこのガイドブックは、知るかぎりにおいて最高のユング入門書だと思う。
フロイトとユングで問題になるのは、リビドーの解釈、転移の是非、ユダヤ/プロテスタントの宗教観、そして実証主義/神秘主義(オカルト)の相違である。この本が優れているのは、臨床系の書籍で避けられがちな錬金術とかUFOといった、ユングにまつわるオカルティックなテーマに偏見なくアクセスしているところ。

濱野智史『前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48』

テーマはとっつきやすいが、わざわざ買われる類のものではない、しかし内容はおもしろいという理由から選んだ一冊。
心ないアンチに吊るし上げられる前田敦子を、西洋世界のセンターで十字架にかけられるキリストに重ね、AKB48 の宗教的なアーキテクチャが論じられる。社会学は冒頭で捨て去られ、マルクスの資本論「G(貨幣)→W(商品)→G’」は「w(草)→G(劇場)→w’」に書き換えられ、推しメンについての熱い想いを綴り、歌詞を引用しながらAKBというアーキテクチャの世界宗教への可能性を語る様子は、狂気さえ感じる。だから同著者の『アーキテクチャの生態系』よりおもしろく読めた。

念のために言っておくと、以上の3冊を「オカルト」と呼ぶのは、決してネガティブな理由ではなく、科学では語りえぬものといった意味においてである。

「育児」についての書籍

Reggio Children: Atelier Raggio di Luce

Reggio Children: Atelier Raggio di Luce

レッジョ・チルドレン『子どもたちの100の言葉』

最初に手にした育児本は、野口整体で有名な野口晴哉『育児の本』だったが、あまりのハードコアさに挫折。ピアジェやエリクソンといった理論本ではなく、一般的な育児とシュタイナー教育に対するオルタナティブな実践本を探していたところ、レッジョ・エミリアを紹介してもらった。
本来取り上げるべき『驚くべき学びの世界 – レッジョ・エミリアの幼児教育』は品薄で手に入れらなかったので、新装で復刊されたこちらを共有することにした。

レッジョ・エミリアのことを聞いたのは、ちょうど co-ba library で行う子ども参加イベントをプランニングしているときであった。

最後にそのイベントについての告知を。

asobi基地 ✕ co-ba KIDS Vol.2

日時:2013.2.24(日) 13:00~16:00

場所:co-ba library(アクセス

参加費:親1人+子ども 2,000円(飲食物持ち込み自由)
    親2人+子ども 3,000円
    大人1人 2,000円

asobi基地とは、特定の場所を持たない児童館のようなプロジェクトで、子どもに関わる人たちのコミュニティも兼ね備えている。今回は「asobi基地 ✕ co-ba KIDS」と題して、co-ba library 内で行われることになった。
co-ba library で開催されることの意義は、シェアードワークプレイス/シェアライブラリーという利害関係のないつながりの場の安心感。
何時に来ても、何時に帰ってもOKで、入居者以外も多く参加する予定なので、気軽にお越しください。

asobi基地 ✕ co-ba KIDS Vol.1

asobi基地 ✕ co-ba KIDS Vol.1