ミシェル・フーコーの1970年代。それは転回のデケイド(10年間)であった。

Michel Foucault

まず前半は、「考古学」から「系譜学」へと、徐々に手法を変えていった。そしてちょうど真ん中あたりの1975年には、権力の解釈を、法などの「主権権力」から「規律権力」に求めるようになる。さらに1976年にその解釈は「生権力」という概念へと、急速に向かっていった。また同時期には、「性」の問題への探求も始まる。

この1975年と1976年の間、ミシェル・フーコーにいったい何が起きたのか?

1970年代のミシェル・フーコーを俯瞰する

まずはフーコーのパートナーであったダニエル・ドフェールによる「年譜」[思考集成1 | フーコー・カイドブック] を下敷きに、1970年代におけるフーコーの変遷を年表でまとめてみた。フォーマットは画像とPDFとテキストを用意した。

年表の縦軸の時系列に沿って「問題系」のテーマを設定し、フーコーが寄せた関心の度合いを太さで表した。また配色はちくま学芸文庫『フーコー・コレクション』の装丁になるべく近付けてみた。

1970年代のミシェル・フーコー年表

(以下、日本語訳で入手できる書籍にはAmazonのリンクを付け足した)

1970年

9月 フーコー初来日
10月 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』()『意味の論理学』()の書評を発表(「劇場としての哲学」No.80 [思考集成3])

1971年

1月 コレージュ・ド・フランス講義『知への意志』開始
2月 監獄情報グループ(GIP)を創設(「GIP(監獄情報グループ)の宣言書」No.86 [思考集成4 | コレクション4])
9月 チョムスキーと対談(「人間的本性について—正義対権力」No.132 [思考集成5])
「ニーチェ・系譜学・歴史」No.84 [思考集成4 | コレクション3] 発表

1972年

1月 コレージュ・ド・フランス講義『刑罰の理論と制度』開始
3月 ジル・ドゥルーズと対談(「知識人と権力」No.106 [思考集成4 | コレクション4])
4月 アッティカ刑務所訪問(「アッティカ刑務所について」No.137 [思考集成5])
11月 ピエール・リヴィエール事件の分析を開始(『ピエール・リヴィエール — 殺人狂気・エクリチュール』
ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』()刊行

1973年

1月 コレージュ・ド・フランス講義『懲罰社会』開始
4月 『監獄の誕生』第一草稿完成
5月 リオ・デ・ジャネイロ カトリック司教大学講演(「真理と裁判形態」No.139 [思考集成5 | コレクション6])
10月 プロレタリア左派が解散

1974年

1月 コレージュ・ド・フランス講義『精神医学の権力』開始、「規律権力」の概念が初登場する
4月 『同性愛大百科』を巡る裁判の保証人として召喚(「セクシュアリテと政治」No.138 [思考集成5])
8月 『監獄の誕生』執筆完了

1975

1月 コレージュ・ド・フランス講義『異常者たち』開始
2月 『監獄の誕生』刊行
4月 初のアメリカ講演
5月 デス・ヴァレーのザブリスキ・ポイントにてサイケデリック体験
6月 『性の歴史』草稿を大幅に変更
12月 ロラン・バルトのために文学記号学講座の創設を提案
12月 ジル・ドゥルーズが『監獄の誕生』の書評「あたらしい地図作成者」発表(ドゥルーズ『フーコー』

1976年

1月 コレージュ・ド・フランス講義『社会は防衛しなければならない』開始、「これまで5年の講義を規律に当ててきたが、これから5年は戦争・闘争に当てる」と宣言
8月 『知への意志』執筆完了
12月 『知への意志』を『性の歴史』第1巻として刊行、以後5年間は単行本を出版しないことを決意

1977年

1月 「汚辱に塗れた人々の生」No.198 [思考集成6 | コレクション6] 発表
1月 『アンチ・オイディプス』アメリカ版に序文を提供(「ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』への序文」No.189 [思考集成6 | コレクション6])
5月 フーコーらをまとめた「ヌーヴォー・フィロゾフ(新しい哲学者たち)」という呼称が登場
12月 「権力と戦略」No.217 [思考集成6] 発表
ジル・ドゥルーズと決裂
イランの宗教都市で40日ごとに起きる出来事を、マオイストのイラン人学生がフーコーに預言

1978年

1月 コレージュ・ド・フランス講義『安全・領土・人口』開始、「統治性」の概念が初登場する
2月 ブーレーズ、ドゥルーズ、バルトと共に、IRCAMにて音楽の時間のセミナー開催
4月 二度目の来日(『哲学の舞台』、「世界認識の方法—マルクス主義をどう始末するか」No.235 [思考集成7])
8月 イランに関する研究を開始
9月 イラン訪問中、イラン国王シャーの軍隊がジャレ広場にてデモ隊に発砲(「シャーは百年遅れている」No.243 [思考集成7])
カンギレム『正常と病理』のアメリカ版に序文を提供(「フーコーによる序文」No.219 [思考集成7])

1979年

1月 コレージュ・ド・フランス講義『生政治の誕生』開始、リベラリズム批判を展開
10月 スタンフォード大学で講演(「全体的なものと個的なもの—政治的理性批判に向けて」No.291 [思考集成8 | コレクション6])
12月 次回コレージュ・ド・フランス講義『生者たちの統治』を準備
『性の歴史』第2巻に繋がる初期キリスト教の研究を開始

さて、1975年と1976年の間、ミシェル・フーコーにいったい何が起きたのか?
これについては、ここに挙げた文献と、2冊の自伝を追いながら、次回論じようと思う。