佐々木中講義メモ。「オカルト」が隠された場所であるキリスト教の歴史を紐解きながら。

"Scuola di Atene" Raffaello Sanzio, c.1509-1511

"Scuola di Atene" Raffaello Sanzio, c.1509-1511

キリスト教における異端

オカルト(occult)とは元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来する表現であり、目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。(……)ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論者の立場等により見解が異なる。
オカルト – Wikipedia

キリスト教がオカルトや魔術的なものを弾圧しようとするのは、神以外のもの、神が作ったものによって運命が左右されることはあり得ないという理由による。近代の法社会はキリスト教社会の延長である。そして半ばキリスト教徒であるわれわれは、オカルトを侮蔑しつつも、惹かれずにはいられない、屈折した心情を抱えている。そしてこの立場は、オカルトという「隠されたもの」が隠されている場所であるキリスト教の歴史の延長線上にある。

かつてトマス・アクィナス(1225頃-1274)は『神学大全』において、アリストテレスやプラトンなどの古代ギリシャ・ローマの文化を流用し、キリスト教を神学として高めていった。また、かの有名な「星は誘えど強制せず」という言葉は、占いを庇護しているようにも解釈できる。トマス・アクィナスは、キリスト教にとって異端とされる文化を、罪悪感なく再利用した新世代であった。

例えば、ギリシャ・ローマの古典文化においての「デルフォイの神託」は占いそのものである。その信託の内容が「汝自身を知れ」でなければ、哲学というもの自体がなかったかも知れない。つまり歴史も変わっていたかも知れないのだ。

アリストテレスにとっては、哲学者の神は、いわば知性のなかで能動的なものの極致である。そういう人間の魂というものが、実は普遍的な神につながっていて、そういう能動的な知性は、存在全部を貫いて一体であるというのが、特にイスラム世界のアリストテレス解釈である。それは、個々人の魂について霊魂不滅をいう教会の教えと両立しない。
さらにまた、アリストテレスの場合には、質料というものは生まれることも滅びることもないので、世界は永遠に続くという帰結が出ているが、これは神が世界をつくり、この世には終わりがあるというキリスト教の考え方と一致をしない。
福田歓一『政治学史』 – 第3章 ゲルマン世界の中世の政治と哲学 – 第2節 トマス・アクィナス

幾何学と天文学

宗教改革のあった16世紀から、啓蒙と科学の18世紀まで、キリスト教世界は衰退を経験した。

ルネサンス後期にあたる16世紀は、近代に一歩近づいた時代と解釈されるが、先述のトマス・アクィナスから続くギリシャ・ローマの古典文化へ回帰した時代でもあった。そして宗教改革の雄、マルティン・ルター(1483-1546)の腹心であり、神学・法学におけるデータベース的役割を果たしていたメランヒトンは、占星術に凝っていたことで有名である。

17世紀は、デカルト、パスカル、ニュートンといった天才を輩出した世紀であった。そしてまだ宗教改革の余震は続いていた。

近代幾何学の創始者であり、近代哲学の創始者でもあるルネ・デカルト(1596-1650)。彼が数学や哲学を志した理由は、ルルドの泉へ巡礼した際に、聖母マリアの声を聞いたからであると言われる。16世紀にやっとキリストの母として認められたマリアを信仰することは、当時のキリスト教徒にとって異端であった。

16歳で「円錐曲線論」を書いたブレーズ・パスカル(1623-1662)は、後年、数学者・幾何学者としての栄誉を捨て修道士として生きた。後に『パンセ』となる断章を書き、死を迎えたとき、彼が着ていたローブには布が縫い付けられていた。その中には「炎の火曜日」と書かれた紙があり、そこには神に会ったことが克明に記されてあったと伝えられる。

24歳までに近代古典物理学を築き上げたアイザック・ニュートン(1642-1727)も、後年、錬金術や魔術などに熱を上げた。つまりニュートンは、最初の宇宙物理学者として占星術を破壊し、最後の錬金術師・魔術師として、それを天文学に進化させたのである。

占星術(astrology)は暦によって天候を占うことを起源とし、その暦をさらに磨き上げたのが天文学(astrologia)である。未来を予測すること、有限の制度のなかで無限の未来を統御しようとすること、暦(カレンダー)によって何かを管理しようという思想は、占いからプロジェクトマネジメントや手帳術まで、すべて天文にかかっていると言えるのだ。

また、現在使われているグレゴリオ暦の歴史は意外に浅く、16世紀にローマ教皇であるグレゴリオス13世によって定められた。もちろんこれも、異教徒から受け継いだ技術によって作られた、オリジナルの暦である。

天才の世紀の天才たちは、いずれも深くオカルトに関わっていた。そしてキリスト教における正統をローマ教皇庁とするならば、ギリシャの数学の応用である幾何学も、エジプトの占星術の応用である天文学も、当然異端である。しかしこれはあくまで両義的なのであって、このことによって科学における彼らの偉業が汚されるわけではない。

このように、キリスト教という重石が取れると、必ず「科学」と「オカルト」が同時に見出される。これらはいずれも異教の叡智を含んでおり、罪悪感混じりなのである。

Egyptian Astronomy Zodiac of the Denderah

Egyptian Astronomy Zodiac of the Denderah

光の科学と影のオカルト

続く18世紀は光の世紀とされる。光(lumière)によって蒙を開く、啓蒙の時代である。それは科学の時代であり、理性の時代であった。その一方、占星術が復興した時代でもあった。

例えば、18世紀のマルセイユにおいて、タロットカードが現在の形になったと言われている(マルセイユ版タロット)。マルセイユと言えば、ワルドー派やカタリ派などの異端の地であり、十字軍によって大虐殺された場所である。

当時のキリスト教世界は、ルター派から洗礼派、再洗礼派、また異端な教派から小さなカルトまでがひしめき合っていた。そこにはフリーメイソンリー、薔薇十字団といったより秘術的な団体も含まれていたと言われる。アンチクライスト、アンチ教会といった影の文化は、魔術への憧れや妄想となって、人々の間に広まっていった。光が強くなれば闇も深くなる。これが光の世紀の文化的コントラストであった。

そうした魔術に対抗して登場したのが、ローマ教皇庁に雇われたエクソシスト(悪魔祓い師)である。彼らの職は、魂を正しい方向に導くために、清めの儀式やカウンセリングを行なうことであった。すべての迷える子羊を救済しようとする心は、司牧(Pastorale)の精神であり、羊飼いであるイエス・キリストの精神である。フロイトが言うように、司牧の後継者にあたるのが精神分析であった。

司牧と魔女、医学と薬学

古代医学の王室の医者以外に、外科医の始まりは死刑執行人で、内科医の始まりは魔女であると言われる。やがて近代医学が発展し、死刑執行人と魔女は医学会における異端と見なされていった。

魔女たちの活動は、出産の介助、病気の看病、恋愛相談、カウンセリング、そして薬草の調合であった。こういった魔女の文化は、現代の薬学やアロマテラピー、ハーブ、ホメオパシーなどに、脈々と受け継がれている。

16世紀から18世紀は、魔女狩りが行われた季節である。教会の抑圧から逃れようとした人たちに好意的に受け入れられた魔女は、当然アンチクライストであり、キリスト教にとっての競合であったため、ヒステリックに排除されていった。それは十字軍によるユダヤ人のポグロム以来の大虐殺でもあった。

時は流れて1960年代。哲学的な精神医学に先回りする形で向精神薬が出回った。精神分析が司牧の末裔であるとするならば、向精神薬は魔女の復興だったのかも知れない。今も尚、権力の切っ先で、司牧と魔女はぶつかり合っている。そして占いが好きな人は、大抵心理学も好きなのである。

繰り返すと、キリスト教という重石が取れたとき、「科学」の光が差し込み、そこには「オカルト」の影も同時に作り出される。しかし、それによって「科学」の信憑性がなくなるわけでは決してない。「科学」では形式化できないものを補うために、必ず「隠されたもの」が立ち現れてくる。これらが両義的であることは、歴史によって証明されている。