リングの上で、その自発的な下劣さのどん底そのもので、レスラーたちは神々である。なぜなら、彼らはほんの一瞬の間、自然を開く鍵となり、その仕草は善を悪から隔て、正義というものの様相を目に見える形で露わにするからである。
ロラン・バルト『神話作用』 – レッスルする世界

「レッスルする世界」の神々

マッチョマンことランディ・サベージが交通事故で亡くなった。享年58歳。

華々しいキャリアを残しつつも、古巣WWF(現WWE)の会長であるビンス・マクマホンとの長い長い確執があったため、その功績は無視されていた。それは2009年になるまでビデオがパッケージされなかったほどだった。訃報の直後、盟友ロディー・パイパーはツイッターで”Too Sad To Tweet..”とつぶやき、この確執の真相を「バーでランディがビンスの頬を張った、ただそれだけのことさ。」と明かした。

WWE.com ではすぐに追悼ページが作られた。もっと早くてよかった WWE Hall Of Fame 入りも、きっと来年果たすだろう。雪解けに必要な時間はあとほんの少しだった。

マッチョマンという個性の獲得

ランディ・サベージは1985年にWWFのリングに登場した。時期としては、シンディ・ローパーを巻き込んだMTV狂騒曲でハルク・ホーガンがブレイクした少しあとになる。マッチョマンのニックネームとブーツィー・コリンズ風のド派手なコスチュームは、WWF入団以前から引き継いだキャラクターで、そこにマネージャーとして妻のエリザベスを従えるという設定が追加された。

エリザベスの役柄は、一般的なヒールレスラーの女性マネージャーのように試合で手助けすることではなく、試合や入退場のとき、ただサベージの横にいることである。そしてその主従関係は、エリザベスが先にエプロンサイドに登ってロープを広げサベージをリングに招き入れるというような動作で表現された。つまりエリザベスはサベージがマッチョマンたりえるためのマチズモ(マッチョイズム)を表象するオブジェとして存在している。ウーマンリブ運動が盛んだった頃からそれほど経っていない時代において、サベージは女性蔑視の倫理観に欠けたヒール、不遇なエリザベスはベビーフェイスとして支持された。そしてこの2人の強烈なコントラストにファンは惹きつけられていく。

また当時のレスリング界は、地方巡業からテレビによるプロモーションとPPVによる収益を中心にした興業に大きくシフトチェンジした時期だったため、レスラーには短い放送時間で個性を表現する能力が要求されていた。サベージはホーガンやアンドレ・ザ・ジャイアントほどテレビ映えする大きな体格ではなかったが、コーナーポストやロープを使った立体的な試合構成によって、独自のレスリング・スタイルを確立させていった。フィニッシュに使ったダイビング・エルボー・ドロップは、80年代を象徴する決め技として、映画「レスラー」でミッキー・ロークが演じたキャラクターの元ネタにもなっている。

マチズモの美学の転回

サベージのキャリアにおいて最初の転機となったのは、1987年のレッスルマニア3におけるリッキー・スティムボートとの一戦である。”手が合う相手”スティムボートと20分間ノンストップで動きまわったこの試合は、老舗のレスリングマガジンであるプロレスリング・イラストレイテッド誌とレスリング・オブザーバー誌よって年間ベストバウトに選ばれた。


男泣きしながら退場するサベージと、それを気遣うエリザベスを見て欲しい。この印象的なシーンに同情したファンは、徐々にサベージをベビーフェイスとして受け入れていく。

ベビーフェイスになってからも、サベージはエリザベスと行動を共にすることを選んだ。そして彼に対するファンの感情が変わったことで、そのマチズモもアンチ・フェミニズム的な捉えられ方から、どんなときにも虚勢を張る男らしさという解釈へと変わっていく。この弱さと表裏一体の不器用さは、ベビーフェイスとしてのサベージの魅力になっていった。

翌年のレッスルマニアはサベージのための大会になる。映画撮影で一時戦線離脱するホーガンと入れ替わりで、サベージはWWF王座を獲得。そしてファンはエリザベスをレスリング界のファーストレディーと呼んだ。

現実と虚構の狭間で

主役となったサベージに用意されていたのは、プライベートでも友人関係だったホーガンとの夢のタッグ”Mega Powers”の結成。そしてエリザベスを巡る三角関係によってホーガンと衝突するという、1年掛かりのドラマだった。

Mega Powers

このエリザベスの体の向きにより、不安定な"Mega Powers"はなんとかバランスを保っていた

このアングルによってサベージは、現実と虚構の狭間で闘いを演じることを余儀なくされた。後のインタビューで、サベージ自身がこの時期のことを「”レスリング・ライフ”と”ライフ”の区別がつかなくなった時期」と語っている。またホーガンの自伝にも、サベージがプライベートでもエリザベスのことで嫉妬していたこと、それが原因でフレンドシップが終わってしまったことが書かれてあった。サベージが演じていたのは、限りなくノンフィクションに近いフィクションだったのだろう。後年になってホーガンを批判したラップを発表したほど、このときの確執は根深いものだった。

サベージとエリザベスは7年もの間、助けあったり傷つけあったり、リング上で結婚式を挙げたりと、いろんなアングルを演じ続けた。もしここにリアリティがなければ、こんな長い話に誰も付き合わなかっただろう。そして実生活のパートナーとしてピリオドを打った1992年、エリザベスは何の説明もなくリングからフェードアウトする。皮肉なことに、本物の妻や親友と、公私にわたって愛憎劇を繰り返したこの時期が、ランディ・サベージというレスラーの全盛期である。

改めて振り返えると、サベージの最大の偉業はリングの上にプライベートをさらけ出したことではないかと思う。サベージはその人間くささをファンに愛された。

マッチョマンよ、安らかに

サベージが最後にリングで輝いていたのは1999年のWCW時代、ケビン・ナッシュと知恵くらべ合戦をしていたときだろう。過度のウェイトトレーニングで体を大きくしすぎていたため、全盛期の動きは望めなかったが、当時の”本物のガールフレンド”ゴージャス・ジョージを引き連れていたので、久々にレスリングを楽しんでいるように見えた。

やはりサベージの隣りには本物のガールフレンドがいるのがしっくりくる。今回の訃報で救われるところがあるとすれば、それは最期の瞬間、そのすぐ隣りに現在の配偶者がいたことではないかと思う。

プロレスは「生」と「死」についてぼくたちにさまざまなことを考えさせる。いまぼくたちが生きているこの場所をかりに「こっち」として、ジャイアント馬場さんやブルーザー・ブロディ、ホークやテリー・ゴーディやバンバン・ビガロやクリス・ベンワーがいる場所を「あっち」とすると、プロレスというフィルターを通せば、「あっち」と「こっち」はわりと自然につながっている。肉体は滅びても、魂は滅びることはない。プロレスはそういうごくあたりまえのことをぼくたちに教えてくれる。
斎藤文彦『みんなのプロレス』

Wrestlemania 7

1991年のレッスルマニア7にて、3年越しで復縁を果たしたサベージとエリザベスはファンに祝福された