greenzのワークショップに参加し、『ソーシャルデザイン – 社会をつくるグッドアイデア集』を読んで、考えたこと。

ソーシャルデザイン by グリーンズ

「自分ごと」の2つの意味

まずは greenz のメソッドとも言える、7つのTIPSの紹介から。

1. 社会的課題を「自分ごと化」する
2. ホリスティックに状況を捉える
3. 「これからの◯◯」を想像する
4. 一石二鳥以上のグッドアイデアを考える
5. 思いつきをカタチにする
6. 雨ニモ負ケズ、プロトタイプを繰り返す
7. 座右の「問い」で自分を振り返る
グリーンズ編『ソーシャルデザイン – 社会をつくるグッドアイデア集』

「社会的課題を『自分ごと化』する」の「自分ごと」とは、「他人事」の対立概念であるが、最初にこのフレーズを目にしたとき、「自分を含めた」という意味に捉えてしまった。しかしこの勘違いな解釈は、greenz の方法論を的確に表していると思う。

その方法論とは、「社会」の問題を自分の外部に置くのではなく、「自分を含めた」内部に設定し、自分のまわりから「社会」を改善していくこと。『ソーシャルデザイン』のあとがきにあるように、危機を煽るジャーナリズムにうんざりして、無関心な態度を取るのではなく、真摯に「社会」に向かい、実践(「雨ニモ負ケズ、プロトタイプ」)を繰り返し、「思いつきをカタチに」してきた結果が、現在の greenz につながっている。

ソーシャルデザインTIPS

ソーシャルデザインTIPS

スピノザによる「よいこと」の定義

ところで、「グッドアイデア」や「ソーシャルグッド」における「よいこと」とは何だろう。自分にとって「よいこと」は、必ずしも他人にとっての「よいこと」ではないし、その逆もまた然りである。つまり「よいこと」とは、どこまでも主観が付きまとう厄介な問題なのだ。

この「よいこと」の定義を、スピノザの理論に沿って考えると、納得いく説明に辿りつくことができる。以下、スピノザを一般化しながら、ソーシャルデザインの倫理学を明らかにしていきたい。

まずは「よいこと」を、スピノザによる「善」として設定する。スピノザによれば、「善」とは完全性に近づくことであり、「活動能力の増大」と定義されるものである。それから「社会」や「世界」は、スピノザの言う「自然」(神即自然)に置き換えることができる。「自然」は無限を表す実体だから、その中に真理を求めるべきであるというのが、スピノザの基本的な理路となる。

また主著『エチカ』の第二部・定理四〇によると、人間には三種類の認識がある。第一種は「意見・表象」からの受動的な認識であり、第二種は「理性」による能動的な認識である。そして第三種は、「直観知」による自発的な認識で、この「直観知」によってのみ、精神の最高善に向かうことができるとされる。

さらにこれを言い換えると、「社会」に強制されて(「意見・表象」によって)行動するのではなく、「社会」における共通概念を頼りにして(「理性」によって)行動するのでもなく、「社会」の観念を発見し、そこに法則を見出す自分自身に指導されて(「直観知」によって)行動することが、「活動能力の増大」へ向かうこと、すなわち「よいこと」と定義できる。

これは常に自分に適したこと、自分が楽しめるものを選ぶという意味も込められており、その説明には次の引用がわかりやすい。

善および悪に関して言えば、それらもまた、事物がそれ自体で見られる限り、事物における何の積極的なものも表示せず、思惟の様態、すなわち我々が事物を相互に比較することによって形成する概念、にほかならない。なぜなら、同一事物が同時に善および悪ならびに善悪いずれにも属さない中間物でもあるうるからである。例えば、音楽は憂鬱な人には善く、悲傷の人には悪しく、聾者には善くも悪しくもない。
スピノザ『エチカ』– 第四部 序言

"My"ソーシャルデザインのステップ

"My"ソーシャルデザインのステップ

ソーシャルデザインのソーシャルデザイン

もう一度ソーシャルデザインに話を戻しながら、整理してみたい。

まず前提として、自分という主体は「自然」、すなわち「世界」や「社会」全体の中にある。そして自分が楽しめる何かを、誰かと一緒にやり、共感し影響を受けることが、「世界」や「社会」にある観念を捉える作業となる。そこでアイデアを入出力して楽しむプロセスの中で、自分が楽しくなれる法則を見つけ出す。その法則に従って行動し続け、自分の「活動能力の増大」に務める。これが「よいこと」の定義となる。もしソーシャルデザインにおける倫理学のようなものがあるならば、こんな感じではないかと思う。

たとえジャーナリズムが前提にあるとしても、ポジティブに偏りすぎると、カルトに見えてしまう危険性がある。だから「ソーシャルキャピタルを稼ごう」とか、「greenz 出身の人が政治家になって社会を変えて欲しい」といった言葉を聞くと、そこにバランス感覚を垣間見て、妙に安心してしまう。スピノザを元に「よいこと」の定義を明らかにしたのは、こうした呪縛を解くためであった。

われわれはひとつの孤立した観念を目にするなら、それがどれだけ明晰判明であろうと、懐疑の可能性を捨てきれない。道としての方法はそれゆえ、観念と同時に、その観念を貫く法則についての認識を与えるのである。言うまでもなく反省的認識の場合と同様、スピノザの方法を実現すべく観念の観念を形成しようとしても無駄である。スピノザの方法が実現されたときに獲得される観念が、真の観念であると同時に観念の観念であるということなのだ。
國分功一郎『スピノザの方法』

「社会」や「世界」の問題を「自分ごと」にして「よいこと」を行う。これはただシンプルで口当たりのよいコンセプトではなかった。楽しいことを追い続ける方法でもなく、楽しみの新陳代謝を持続させる方法であった。

コンセプトとなる言葉を選ぶことも、ワークショップをうまくファシリテートすることもソーシャルデザインだが、ソーシャルデザインの方法を開発することは、スピノザにおける「観念の観念」のような、「ソーシャルデザインのソーシャルデザイン」と言える活動である。

ここまで語ってきたイメージに比べると、実際のワークショップはもっと気軽に参加できる。そこは「よいこと」の実践方法、その観念の捉え方を、身体で感じながら学ぶことができる場である。