UX デザインを定義することについて。「UX」の概念と、「デザイン」の転回における「アフォーダンス」を確認しながら、その問題を考える。
ユーザーエクスペリエンスの定義
道具箱の中に入っているいろいろな道具について考えよ。(……)これらのものの機能がさまざまであるように、語の機能もさまざまである。しかも、類似点があちこちにある。
もちろん、われわれを混乱させるものは、いろいろな語が話されたり、文書や印刷物の中で現われたりするとき、それらの現われた姿が同じであるように見える、ということである。なぜなら、それらの適用例が、われわれにとってそれほど明らかでないからである。
ウィトゲンシュタイン『ウイトゲンシュタイン全集8 – 哲学探究』[11] p.23
「UX デザイン」という言葉の定義には、多くのバリエーション(変種)がある。業務内容や方法論、成果物、既存概念の組み合わせなど、さまざまな人がさまざまな仕方で定義を試みているが、未だに曖昧な印象のままである。なので、もうこれは「UX デザイン」という言葉自体、またはこの言葉を定義すること自体に、問題があるのではないかと疑っている。
まずは「UX デザイン」という言葉を、「UX(ユーザーエクスペリエンス)」と「デザイン」に分解して考えると、その問題がすこし見えてくる。
「UX」は、ドナルド・ノーマンが1990年代に定義したもの(Nielsen Norman Group “User Experience – Our Definition”)が、現在のおおよそのコンセンサスと考えて間違いない。ノーマンによると、「UX」とは「ユーザーのインタラクションにおける、あらゆる状況を網羅したもの」で、「多様な専門分野のサービスをシームレスに結合」するものである。
つまり「UX」とは、あまりにも広義な意味であり、さまざまな側面からさまざまな方法によって考えることができる。だから逆に、狭義に捉えることもできる。その結果、多くのバリエーションが生まれ、「UX デザイン」の定義は曖昧になってしまう。
デザイン理論の転回
次に、改めて「デザイン」という言葉の定義を確認してみたい。
かつて「デザイン」は、フランク・ロイド・ライトの師にあたるルイス・サリヴァン(1856-1924)によって「形態は機能に従う」と言い表わされた。そして現在は、Apple のデザイナーであるジョナサン・アイブの「形態はユーザーが与える意味に従う」という言葉がコンセンサスである。
つまり工業時代からポスト工業時代へと移り変わる中で、「デザイン」という概念が転回した。その価値は科学からコミュニケーションへ、設計手法は技術中心から人間中心へ、そして思想は機能主義からユーザー中心のデザイン文化へと姿を変えた。いやこの場合、姿や形が見えないものになったと言うべきかも知れない。
その転回点として参照されるのが、「UX」の定義でも触れたドナルド・ノーマンの『誰のためのデザイン?』(1990年)である。当時のノーマンの先進性は、認知科学を通して「デザイン」を分析したことであった。本書は、ユーザー中心設計やメンタルモデルといったキーワードを一般化することに貢献し、現代の「デザイン」のバイブルとなった。
しかし、前回の『広義/狭義の UX デザイン』の書評で紹介した通り、ノーマンは「アフォーダンス」という言葉を本来とは違う意味で使っている。だから「デザイン」の歴史は、機能主義から誤謬を含んだ「アフォーダンス」を経由して線が引かれており、そこでわれわれは「UX デザイン」という言葉に向かい合っている。
誤謬された「アフォーダンス」
ノーマンが自覚的に「アフォーダンス」という言葉を違う意味で使ったことは、意外と知られていない。次に引用する注釈を見れば、この便利な言葉を、軽く拝借した程度の気持ちだったのがよくわかる。
私の考えでは、アフォーダンスは事物を心理的に解釈することから生じるものであり、その解釈は私たちのまわりの事物を知覚する際に使われた過去の知識や経験にもとづいたものである。私のこの見解は、多くのギブソン派の心理学者の見解とは少し食い違っている。しかし、その件についての現代心理学の内部で行われている議論は、ここではあまり関係ない。
ドナルド・A. ノーマン『誰のためのデザイン? – 認知科学者のデザイン原論』p.361
想定外だったのは、ノーマンの解釈の方が一般的になってしまったことだろう。だからノーマンは後に「知覚されたアフォーダンス」または「シグニファイア」と言い換えなければならなかった。
一方、コミュニケーション学の研究者でデザイナーのクラウス・クリッペンドルフは、先ほど触れた「デザイン」の転回を「意味論的転回」と呼んだ。ここでの「意味」とは、ジョナサン・アイブの言う「ユーザーが与える意味」にも通じるものである。
クリッペンドルフは、ノーマンの「アフォーダンス」解釈では、この転回を説明するのに不十分だと考えた。そして主著の『意味論的転回』において、「デザイン」の歴史を、ギブソンの「アフォーダンス」を辿った線に引き直した。
「アフォーダンス」というラディカルな思想
空間は神話であり、幻影であって、また幾何学者のための作り事である。
ジェームズ・J.ギブソン『生態学的視覚論 — ヒトの知覚世界を探る』p.4
ノーマンは「アフォーダンス」を「知覚されたアフォーダンス」として、つまり客観的事実の主観的表象として考えた。
例えば、イスは「支えることをアフォードするもので、それゆえ座ることを可能にする」と表現されている。イスという対象物はユーザーに対して、その「アフォーダンス」を認識させ、使い方を示唆し、行動を誘発させるという解釈である。
クリッペンドルフはこれを、ヒューマニズム的な人間中心性の解釈であると批判した。たしかに本来の「アフォーダンス」の革新性は、人文科学的な視点の方にある。
「アフォーダンス」は、認識論ではない。むしろデカルト的な主観/客観という二元論自体に対立している。人が対象物を考えるときの時間/空間、主体の自意識といった前提条件を解除するような概念である。
だから「アフォーダンス」における環境とは、自分を取り巻く世界のことではなく、自分も含まれた世界のことを指している。それは実在としての現象を捉える仕方であり、形而上学における「神の視点」を持っている。
先ほどのイスを例にすると、ユーザーは使い方を知覚させられるのではなく、自発的に使い方を知覚する。イスの「アフォーダンス」は不変であり、ユーザーとの関係性を問うものではない。
ある対象のアフォーダンスは、観察者の要求が変化しても変化しない。観察者は自分の要求によってある対象のアフォーダンスを知覚したり、それに注意を向けたりするかもしれないし、しないかもしれないが、アフォーダンスそのものは、不変であり、知覚されるべきものとして常にそこに存在する。アフォーダンスは、観察者の要求や知覚するという行為によって対象に付与されるものではない。(……)これは、新しい意味であり、価値である。
ジェームズ・J. ギブソン『生態学的視覚論 — ヒトの知覚世界を探る』p.151
ユーザーの体験のデザイン
しかし理屈はわかっていても、日常的に「アフォーダンス」を捉えることは難しい。さらに「アフォーダンス」を考慮してデザインするのは、途方もないことに感じてしまう。
われわれは相変わらず、形而上学的な「神の視点」を持つことができないでいる。それどころか、デザイナーやユーザーを含む多くの人が、未だに情報処理モデルと認識論によって、脳をコンピューターのように扱い、心をソフトウェアのように考えている。だからギブソンの理論以上に、ノーマンの解釈が広く受け入れられた。
「アフォーダンス」という考え方を日本に紹介した佐々木正人氏は、ノーマンの理論に「リアリティーのデザイン」という前向きな解釈を与えている。それに従うと、対象物の「アフォーダンス」をデザインすることは、ユーザーの「リアリティー」を探り、ユーザーに「メンタルモデル」が見えるようデザインすることと、同義に捉えることができる。
この「アフォーダンス」と「メンタルモデル」の関係は、次のクリッペンドルフの図によって見事に表されている。
ユーザーの行為(行動)がデザインに原因を与え、感覚によってデザインから「アフォーダンス」をピックアップした結果、ユーザーにとっての「意味」が発生する。さらにクリッペンドルフによると、「人は、常に、何であれ自分が直面するものの意味に従って、行動する」。この循環こそ、UX(ユーザーエクスペリエンス)である。
「UX デザイン」の定義のほとんどは、いかにして「アフォーダンス」を考慮したデザインを実現させるかという難題に向き合っている。誤謬とされながらノーマンが示した道筋は、対象物の「アフォーダンス」が投影されたユーザーの「メンタルモデル」をデザインするということであった。それは上の図における「ユーザーの理解」の循環をデザインすることであり、これを言い換えると、「ユーザーの体験(ユーザーエクスペリエンス)」をデザインするということになる。
「UX デザイン」という言葉は、広義な概念の「UX」と、「アフォーダンス」という把握しづらい概念を含んだ「デザイン」によって構成されている。だから業務内容、方法論、成果物、既存概念の組み合わせなど、さまざまなやり方によって定義ができる。そのバリエーションは限りなく、しかもそれらのほとんどは、間違ったものではないだろう。
しかし「UX デザイン」を定義することは、われわれの本来の目的ではない。われわれの目的は、自分たちの仕方よって、少しでも「神の視点」に近づいたデザインすることである。「UX デザイン」を定義するということは、それが実現される日を夢見る行為なのかも知れない。
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