スライド「UX Design とは何か?」の一部を解題しつつ、UX デザインにおける心理学の系譜を辿る。
IA/UX から UX/UI へ
上の図は、UX デザインに関連する00年代の時代背景をまとめたものである。この10年間を思い出しながら、インターネット技術の潮流、共有された思考のモード、デザインに関するキーワードをざっと並べてみた。
00年代初頭、Web サイトというメディアが成熟期に向かう過程で、インフォメーション・アーキテクチャ(IA)という分野の価値が高まっていく。IA/UX という表記の通り、この時代の UX デザインの捉えられ方は、IA の概念と表裏の関係にあった。つまり、正しい情報設計のためにユーザー中心の思想で設計を行う、といった意味合いで使われることが多かった。
00年代後半にさしかかると、今度は利用者自らがコンテンツを生成するという、ユーザー体験の変化が起きる。またモバイル端末の環境が整い、数多くの Web サービスやアプリケーションが作られた。
こうした流れは、ユーザーインターフェース(UI)の単純化と、UI パターンのライブラリの充実をもたらした。そしてワイヤーフレーム(画面仕様書)は限りなく最終型のデザインに近づいた。UI/UX という表記が広まったのは、コンテンツデザインが透明化したことにも一因がある。
つまり、00年代の前半で IA が一般化したように、00年代の後半には UX デザインの価値が浸透していった。
左脳的世界観から右脳的世界観へ
このように00年代を前後半で区分すると、左脳的世界観から右脳的世界観へとパラダイムシフトが起きていたのがわかる。
10年前に比べると、左脳的な競争による差異は生まれにくくなった。ロジカルシンキングはビジネスにおける基本スキルとなり、教育のトレンドはビジネススクールからデザインスクールへと移り変わった。そして革新性を呼び込むのは右脳的な思考であり、デザインの方法論である、というのが現在のコンセンサスである。
同じように UX デザインの価値観も、利用者の目的を達成させる合理的な設計から、非合理な利用者に対して豊かな経験を提供することへと変化した。そのプロセスにおいては、定量的なデータによる説得より、定性的な事実によって納得できること、共感されることが重要になった。
思想の枠組みではなく、現象としてのポストモダンの終わり。この新たな不確実性の時代の始まりで、われわれは経験と実感できるような経験を欲望している。
ちなみに左脳/右脳によって機能が違うという通説は誇張しすぎで、科学的な正当性はないらしい。ここではダニエル・ピンクが2006年に出版した『ハイ・コンセプト』で「右脳人間が未来を制する」(Right-Brainers Will Rule the Future.)と言った意味での二項対立を示している。
IA と UX デザインも、左脳/右脳のように、隣り合わせにあるもので、どちらかが欠けてもダメな関係である。ただ現状としては、右脳的世界観や UX デザインに比重が置かれている。
続いて、IA と UX デザインにおける心理学の系譜を見ていく。
IA の理論を支える認知心理学
まず利用者と UI の関係を例にすると、過去に経験したインタラクションは「長期記憶」に収められており、その蓄積が一種のリテラシーになる。一方で、今使ってる UI のインタラクションは「短期記憶」に収められる。これら両方を手がかりにして、利用者は操作を行う。
また、あまりにも複雑な UI を見せられると不快を感じるが、それが単純すぎても心地よくない。こうした判断は、利用者の「感性認知」に関係している。
このように、IA の後ろ盾となる理論は認知心理学であることが多い。
認知心理学は、それまでの心理学に情報科学や神経科学が融合された分野であり、脳や心を情報処理システムとして考える。情報は脳に刺激として入力され、神経系の命令により反応として出力される。
したがって「心」の場所は、われわれの「内部」にある。これまでの経験を元にして、「心」にはあらかじめ感情や記憶や情報処理のパターンが組み込まれている。また外部の情報との相互作用によって影響を受け、脳によって「意味」に変換される。
以上のような捉え方が、認知心理学の基礎となっている。
UX デザイン視点の生態心理学
ギブソンの心理学は、脳や神経を操作することもなく、計算機との類比で人間を理解することもない。ギブソンは、被験者とおなじ目線、すなわち、特権的な専門家としてでなく、普通に生活する者の目線において環境をとらえ、人間の行為を理解しようとする。
河野哲也『エコロジカルな心の哲学 – ギブソンの実在論から』P.9
対して UX デザインは、ジェームズ・ギブソンによって確立された生態心理学の視点がポイントとなる。
例えば、利用者が UI と対峙する経験は、あらゆる UX のひとつでしかない。だから理想的な UI は、どんな利用者が、どんな状況で、どんな期待をしているかといった、広範囲の問題(UX)から導き出されなければならない。常に利用者は、提供される情報の価値によって、行動を選択する。
生態心理学の理論では、人を含めた環境をシステムと捉える。また人と環境の間に認知インターフェイスのようなものを設定し、そこに潜在する「意味」をアフォーダンスと呼んだ。つまり情報の「意味」は、われわれの「外部」で知覚されるわけである。
Apple のデザイナー、ジョナサン・アイブによると、「形態はユーザーが与える意味に従う」。だから「意味」の発生する場所が、利用者の「内部」(認知心理学)にあるのと「外部」(生態心理学)にあるのでは、解釈が大きく変わってくる。
つまり、『UX デザインの定義という問題』で取り上げたアフォーダンスの齟齬は、認知心理学に軸足を置いたドナルド・ノーマンと、生態心理学を提唱したギブソンで、「意味」の前提条件がまったく違っていたことが原因であった。
ソウルとマインドの心理学史
一般的な心理学史によると、認知心理学と生態心理学は、どちらもゲシュタルト心理学と行動主義心理学から派生した分野とされている。しかし心理学を越えた地平まで眺めてみると、また違った系譜が見えてくる。
認知心理学は、機能主義や人工知能研究を経由し、科学的心理学として成長を遂げた。脳科学や行動経済学への発展を見てもわかるように、非常に拡張性が高く、生態心理学の理論までも積極的に取り込んでいる。
一方の生態心理学は、科学的心理学の基礎となるニュートンの科学哲学や、デカルトの心身二元論から逸脱した理論である。代表的なギブソニアンであるエドワード・リードは、その系譜をダーウィン(『種の起原』以降の後期チャールズ・ダーウィンとその祖父エラズマス・ダーウィン)やジェームズ(プラグマティズムを提唱した哲学者ウィリアム・ジェームズ)からギブソンへと至る線に引きなおし、これを「アンダーグラウンド心理学」(非公式心理学)と呼んだ。
さらにリードは、生態心理学と他の科学的心理学との哲学的な立場の違いを、「魂(ソウル)」と「心(マインド)」に例えて表現している。
デカルト以前の「身体」には、神学的な「魂」が宿っていた。しかしデカルトによって「心」という概念が作られ、「魂」なき「身体」と「心」が分離されて科学となった。現在の心理学は「心」の科学であるが、リードが再構築するのは、宗教的なモラルによって非公式な扱いを受けてきた、「魂」の科学の系譜である。
まったく違う根(系譜)を持った IA と UX デザインという二輪の花は、デザインという同じ野(分野)で隣り合わせに咲いている。それは意外にも、危うさがつきまとう、切り結ばれた関係なのである。
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- Slideshare: 「UX Design とは何か?」