エドワード・リードによるアンダーグラウンド心理学。UX デザインから生態心理学を経由して、さらにその源流まで遡っていく。

Earthworms

アンダーグラウンド心理学のはじまり

アンダーグラウンド心理学という架空の学派の創始者は、チャールズ・ダーウィンの祖父にあたるエラズマス・ダーウィン(1731-1802)である。

彼が唱えた流体唯物論によると、動物や植物など、すべての生きた自然(有機体)は、「感じ(フィーリング)」と「感覚(センシビリティ)」を持っている。この「魂」のようなものの物質的基盤は、身体の隅々まで流れるエーテル体であり、これはすべての有機体が兼ね備えた特性である。つまり自然に遍在している。

このようにエラズマス・ダーウィンは、まるで「アフォーダンス」を知っているがごとく、環境を一元論として捉えていた。しかしリベラルなプロテスタントが強かった時代において、こうした発想は無神論であるとされ、受け入れられることはなかった。

なぜなら神学における「魂」は、一人ひとりの人間に一つずつ宿っているとされていた。エラズマス・ダーウィンはその「魂」の単一性を否定した。

奇妙なことに、エラズマス・ダーウィンの「魂」の解釈は、ほぼ同時代に活躍したウィリアム・ブレイクや、一部のロマン主義の作品に共通していた。

またメアリ・シェリー『フランケンシュタイン』の初版のまえがきには、エラズマス・ダーウィンの主著『ズーノミア』からの強い影響が記されている。そしてこのゴシック作品は、「人間は神のように生物を創造することができるのか」、そして「それには魂や心が宿っているのか」といった問題を、世界に投げかけた。

アンダーグラウンド心理学は、地下で繋がったシンジケートである。この「魂」の心理学は、科学や神学からは敬遠されたが、文学には好意的に受けとめられた。そのなかでもとりわけアクセスが多かったのは、異端文学であった。

Bride of Frankenstein, 1935

Bride of Frankenstein, 1935

科学と神学の間で引き裂かれる心理学

キリスト教という重石が取れたとき、「科学」の光が差し込み、そこには「オカルト」の影も同時に作り出される。しかし、それによって「科学」の信憑性がなくなるわけでは決してない。「科学」では形式化できないものを補うために、必ず「隠されたもの」が立ち現れてくる。これらが両義的であることは、歴史によって証明されている。
隠されたもの、または異端について | OVERKAST

啓蒙と科学の時代であった18世紀。科学的心理学とアンダーグラウンド心理学の関係も、科学と異端の例に漏れなかった。

そして主流派の科学的心理学は、神学を擁護する道を選んだ。神学の領域に「魂」を預け、その代わりとして脳内に「心」というものを設定し、世俗的な神学として歩み始めていた。以降、宗教は知られざるものを探り、科学はより狭い領域についての深い知識を扱うものになっていく。

科学と神学の融合を表した言葉に、ニュートンの「世界は神が目的をもって創造した機械である」という命題がある。この表象は、ハイデガーの技術論を見るまでもなく、テクノロジーの発展がメタファーとしての機械を生み、機械論的世界観が作りあげられていったことを示している。

この蜜月の関係に割って入ったのが、エラズマス・ダーウィンの孫であるチャールズ・ダーウィン(1809-1882)であった。

『種の起源』は、科学と神学の根源にあるヒューマニティを撃ちぬいた。そして「人間の起源とその歴史についても、やがて光が当てられることだろう」という一行によって、人間の祖先は類人猿かもしれないという誤解と混乱を招くことになった。また適者生存という拡大解釈は、優生学やミシェル・フーコーの生権力といった、「種」ではなく「血」の問題系へと接続されていく。

時代は産業革命の只中にあった。

Origin of Species

アフォーダンスの起源

当時のキリスト教世界では、すべての人間や動物は、神によってデザインされたという合意のもとにあった。また科学においても、自然の歴史は機械論的世界観によって静的な秩序として扱われてた。だからダーウィンによる「種」という動的概念は、ショッキングな事件であった。

Darwin said "The one most adaptable to change."

「種」とは、扱いやすさ(ユーザビリティ)の価値のために、全体からある集合を指示する唯名論ではない。また実在のものを分類するために、クラスを定義する実在論でもない。

「種」は、時間のなかで淘汰され、自然のなかで関係的・相対的に「進化」していく。「進化」とは、変異と選択のパターンであり、そこには目的も方向もない。目的とは観察者による恣意的な解釈でしかないのだ。

ダーウィンは事物の本性を探るのではなく、「進化」の過程を探った。神の摂理を見るのではなく、自然にある事物を見た。それは自然の法則ではなく、変化の法則に司られた、動的なメカニズムであった。

自然淘汰、または自然選択。それは科学的心理学のように、解釈からモデルを作り上げるやり方で思いついたものではない。それは原因と結果の科学ではなく、「意味」と「価値」の科学であった。われわれも含む有機体の「行動」は、環境との関係のなかで「アフォーダンス」を発見し、その「意味」と「価値」によって変化し選択されるものであった。

つまりダーウィンは、ギブソンが「アフォーダンス」と名付ける前に、すでにこの概念を獲得していた。

その後の『ミミズと土』において、ミミズが知能のようなものを持つと結論づけたとき、『植物の運動力』において、螺旋を描いて成長する根茎の複雑さを発見したとき、ダーウィンは仮説/検証を入念に行い、徹底的に実験/観察を繰り返していた。

UX デザインの手法を使うチャールズ・ダーウィン。少し乱暴に聞こえるかも知れないが、エドワード・リードが編み上げたアンダーグラウンド心理学を紐解いていくと、このように生態心理学や UX デザインへと繋がる糸口が次々と見出される。

想像上の学派であり、「魂」の科学の系譜。今度はそこに、あの偉大なる精神分析学の創始者が呼び出されることになる。

(続く)

EVOLution