アンダーグラウンド心理学の思路は、「エロス」的な「経験」へと向かう。その先には UX デザインが目指すべき地平がある。

Guy Bourdin 'Charles Jourdin, Winter', 1978

Guy Bourdin 'Charles Jourdin, Winter', 1978

前々回前回と、ギブソンの生態心理学の方法で、エラズマス・ダーウィンの「魂」、チャールズ・ダーウィンの「種」、フロイトの「無意識」といった問題を見てきた。そして「エロス」という場所において四人は邂逅した。

続く今回は、まず「エロス」という言葉の誤解を解き、われわれの日常経験へと取り戻すことから出発したい。

日常経験におけるエロス

「エロス」には、性愛にまつわる先入観がつきまとっている。しかしフロイトは汎性欲論を唱えてはいなかった。性的欲求は欲動における一つの傾向でしかない。

1923年の『リビドー理論』において、フロイトはこう言っている。

エロスは生命物質からより大きな統一を作り出すことを目的とするものであり、生を維持し、さらに高度の発展に向かって進むことを目指すものである。
ジークムント・フロイト『エロス論集』-「リビドー理論」(P.219-220)

またエドワード・リードも、ソクラテスを援用しながら、「エロス」をアップデートしている。

行動に付随しておこる積極的あるいは消極的な感じは、孤立した内的状態ではなく世界を経験することの一部なのである。
したがって、あらゆる対象が潜在的に意味を持ち、喜びや悲しみの潜在的源泉なのである。(……)
エロスが根本的に対象と一体化したいという欲望だと見なしたソクラテスは正しかった。しかしそれを、魂とイデアの霊的な結合としたのは間違いだった。またフロイトが、すべての非静的エロスを性交における一体感の隠蔽された代替物と見なしたのは間違いだった。日常経験にかかわるエロスつまり生きられた経験の喜びは、端的にいって生活への愛、(事物や他者との)出会いや効用(ユース)の快感である。
エドワード・S. リード『経験のための戦い』(P.170)

このように「エロス」的な「経験」とは、世界と出会うことである。それは根源的な生きる喜び、人生の豊かさへと向かっている。われわれの日常における「経験」は、本来エロティックなものである。

そしてこの「経験」という言葉についても、もう少し掘り下げて考える必要がある。

Andy Warhol 'Sigmund Freud', 1980

Andy Warhol 'Sigmund Freud', 1980

もう一人のジェームズ

生態心理学者であり熱心な読書家であったギブソンは、特に二人のジェームズの本を愛読していたらしい。一人はジェームズ・ギブソン本人、もう一人はアメリカ最初の心理学者であり哲学者と言われるウィリアム・ジェームズであった。

リードもまた、ジェームズの多元的な思想を、アンダーグラウンド心理学の各論をつなぎあわせる接着剤のように用いた。それはジェームズが「魂」の心理学者であり、ダーウィニストで、生態心理学的な視点も持ちあわせていたからである。

ジェームズは、デカルトが言うように身体が延長を持つなら、内的状態にも延長がなければおかしいと考えた。それは「魂」においても、神においても、宇宙においても、普遍的であるとした。つまりエラズマス・ダーウィンのように、「魂」は遍在するものであると考えていた。

またジェームズは「意識」の推移的部分の流れに注目していた。科学的心理学では「意識」を原子のような閉じた体系として考えるが、彼はもっと複雑で動的な「感じ」として捉えた。それはチャールズ・ダーウィンが「進化」を、ギブソンが「運動」を観察したのと同じ眼差しである。

そしてその思考の中心には、いつも「経験」が置かれていた。

経験に関する試論

人生を生き甲斐あるものにするほぼすべてのものが、経験とともに始まり、経験とともに成長する。
エドワード・S. リード『経験のための戦い』(P.215)

「経験」という概念は、身体と心を、行動と意識を分離しない。「経験」は生態学的に見て、逃れられない事実である。

しかしそれは自己完結しているという意味ではない。ウィリアム・ジェームズが考える「経験」とは、実在性があり、世界との関係によって成り立っているものであった。

また「経験」と「経験」の間には連続性があり、「経験」は累積されると解釈していた。過去の「経験」はわれわれの糧となり、それによって自我が構成され、さらに自我によって次の「経験」が選び取られていく。つまり「経験」とは絶対的に個別なものである。

関係性や時間の連続性、累積性があり、そして一人ひとりの個性である「経験」。その意味は、UXデザインで使われる「経験」と、何ら変わりがない。

「利用と非利用での時間経過におけるUX」-『UX白書』より(一部改変)

「利用と非利用での時間経過におけるUX」-『UX白書』より(一部改変)

そしてわれわれを次の「経験」へと推し進める力として、ジェームズが考えたのは「意志」であった。

直接経験と間接経験

「経験」は大きく二つに分類される。

一つは「直接経験」。生態環境を観察したり探索したりして、自らの「意志」で獲得する「経験」のことである。それは何度も失敗しながら「調整」し、手探りで周囲との関係を築く、ギブソンがマイクロスリップと呼んだ現象に様子が似ている。

もう一つは、メディアに媒介される「間接経験」。人の手によって選別され修正されたり、コンピューターによって加工された、二次的な「経験」のことである。

リードはこれら二つの「経験」を、労働を例にして説明している。

まず労働における「直接経験」とは、自らやることを選択し、スキルによって貢献することである。そこには交流による葛藤と調和があり、それがときに協働する喜びをもたらす。また「経験」による判断を繰り返すため、個人の判断力が磨かれていく。

一方、労働における「間接経験」とは、高度に専門化された労働環境で指示を待ち、断片化されたタスクをこなすことである。マニュアル化によって誰にでも作業が可能になるため、労働の品質が下がりにくく、そのため達成目標などの計測が正確になる。

生態環境/メディア環境における直接経験/間接経験の関係

生態環境/メディア環境における直接経験/間接経験の関係

リードによれば、「間接経験」が「直接経験」を上回った状態、つまり「経験」したことより知っていることに価値がある世界では、「経験」が貧しくなり、その結果として不確実な時代が生み出される。だが不確実な時代を生き抜くには、ますます「直接経験」が必要になってしまい、システム的な悪循環に陥ってしまう。

しかし断じて「間接経験」が悪いというわけではない。マーシャル・マクルーハンのメディア理論によると、「間接経験」によって、ある感覚は拡張するが、別のある感覚は衰退していく。問題は、こうした「経験」の剰余価値を見過ごし、「間接経験」を「直接経験」と同じように扱ってしまうことにある。

「直接経験」とは、「エロス」的な「経験」である。自らの「意志」によって、生きることの意味や価値を獲得することである。

では、多くの場合に「間接経験」を対象とする UX デザインは、世界においてどんな役割を果たすべきなのだろうか。

UX デザインのための戦い

「意志」とは、何かに関心を持ったり、何かを要求したりして、行動を選択することである。つまり能動的な態度により、自分の「経験」を予期して、その先へと進んでいくことである。先の「経験」が予期できるということは、そこに「希望」があることを意味している。

経験のもっとも重要な面である希望は、主観的感情ではなく、世界とわれわれの出会いの客観的特性なのだ。最広義にとれば、希望とは目標が達成可能であることを意味する。今日の観点からいえば、目標に到達する仕方を教える情報をわれわれが検出したとき、希望はわれわれの経験の不可欠な要素になる。情報が利用可能であるだけでは十分でなく、情報を検出しなくてはならない。
エドワード・S. リード『経験のための戦い』(P.208)

エドワード・リードの業績は、生態学的な方法によってアンダーグラウンド心理学を再編し、われわれの手に「経験」を取り戻そうとしたことにある。そしてここで引用したテキストには、「経験」を扱う UX デザインの本質的な価値がある。

UX デザインは、利用者の「意志」を後押しするものでなければならない。利用者を「直接経験」へと導かなくてはならない。「希望」を与えなければならない。だから情報によって利用者が孤立する「経験」をさせてはいけない。他者と共存できるような「経験」でなくてはならない。

UX デザインの使命は、このような倫理観によって、世界に開かれた「経験」を育み、利用者を本来的な生きる喜びや、人生の豊かさへと誘うことではないだろうか。

この帰結は、神学的・科学的ヒューマニズムではない。自己啓発のためのものでもなく、ポジティブ心理学の類でもない。

これはアンダーグラウンド心理学という隠された学派の思路をたどり、もう一度 UX デザインを眺めた地平に見つけたもの。「UX デザインのための戦い」の理由である。

Paul Klee 'Eros', 1923

Paul Klee 'Eros', 1923

参考文献

  • Amazon: ウィリアム・ジェームズ『純粋経験の哲学』
    「純粋経験の世界」「活動性の経験」「意識は存在するのか」所収。後期ジェームズの思想が、『根本的経験論』『多元的宇宙』などの著作から抜粋され、コンパクトにまとまっている。
  • Amazon: 魚津郁夫『プラグマティズムの思想』
    パースから始まり、ウィリアム・ジェームズを経由して、デューイやミードへと受け継がれたプラグマティズム。生前のエドワード・リードは、すでに次回作を出版社と契約しており、それはジェームズのプラグマティズムがテーマであったらしい。
  • Amazon: ジークムント・フロイト『エロス論集』
    「リビドー理論」「性理論三篇」所収。1920年前後、フロイトは欲動理論を何度も書き換えている。今回は論旨の拡散を避けるため、「死の欲動」には言及せず、「生の欲動」のみを追った。
  • Amazon: アダム・フィリップス『ダーウィンのミミズ、フロイトの悪夢』
    フロイトとダーウィンを結ぶ「死」をテーマした美しい書物。ジョン・ケージの「この世に存在する苦しみは適量である」という言葉から始まり、エピローグには「ダーウィンにとってもフロイトにとっても、死という想念は、救われるべき何かが存在するという考えからわれわれを救ってくれる」とある。